NeverLand Musical Factory
SAKAI KAZUNARI
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with BACCHUS - 役者の鍛錬カテゴリのエントリ

基礎練習の役割

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬
執筆 : 
KAZU 2009-3-17 13:46
 役者がやる基礎練習というのは、大きく言ってふたつの役割がある。

 ひとつは、今取り組んでいる芝居の稽古に入る前のアップという役割だ。プロの劇団であれば、そういう準備は各役者の責任ととらえ、「稽古が始まる前に準備をしておくのは当然だ」と言うことで、劇団全体としては基礎練習の時間をとらない場合もある。考え方としては正しいのかもしれないけれど、少なくとも僕らのやっているレベルでは、そんな偉そうなことは言えない。実際問題として、高校生である部員たちがしっかりそういう準備をするのは、結局「同じ時間」「同じ場所」になるのだから、一緒にやった方がいいってことになるのだろう。

 もちろん、全員が一緒にアップをするというのは単に便法の問題だけではない。技術的なアドバイスといったこともあるが、なによりもまず精神的な一体感や高揚感のようなものが大切であると思う。みんなの同じ汗をかくことで生まれてくるものは確かにある。だからこそ、僕らは今取り組んでいる芝居のスタッフもキャストも一緒になって基礎練習に汗を流すのだと思う。もちろん、それだけが理由ではないけどね。

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演出プランをさぐる

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬
執筆 : 
KAZU 2009-3-2 12:12
 試験前最後の日の稽古は、ざっくりとした演出プランとざっとした動きだけが示されたあとの、役者だけの稽古になった。悪いことではないのかな、と言う気がする。「指示を受ける」のと「指示通り動けるようになる」の間にはずいぶん長い距離があるし、その距離を埋めるというのは理由のひとつだけど、もちろんそれが全部ではない。

 演出というのは非常に幅の広い営みで、結果的には舞台の上にのるすべてのことを決定していかなければならない。しかしその「決定する」というのは、必ずしも何もかも自分で0から創るということを意味しているわけではない。芝居作りは共同作業であり、そういう意味合いも含めて、むしろ誰かが生み出したものを承認するということのほうが多いこともあるし、ぼくはそれでいいと思う。

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 新しい台本が渡される。自分はある役を演じることになっている。さて、最初に何をするだろうか。まあ「台本をしっかり読みなさい」なんてよく言われるわけだけど、「しっかり読む」ってどういうことだろうか。

 時々いるのだけれど、自分の台詞にマークをつけるところから始める人がいる。何となくわからなくはないのだけど、どちらかといえば僕はあまり好きではない。役者が何かの役を演じるときに最初にすることといえば、いわゆる「役作り」と言うことになるのだろうけど、この「役作り」という作業は、決して自分の役だけを見ていたのではできないことだからだ。

 人生というのは、最終的には自分が主役なのであって、自分という立場からしか他者を見ることができないと言ってもいい。極端に言えば、自分以外のすべてのものは、自分の心に映る幻であるという考え方さえある。もし「役作り」の究極の目的が「そこに一人のリアルな人間を出現させること」であるとすれば、その人間はおそらく、自分の立場から他者を見るのだろうから、演じる役者は、そういう観点で登場人物をとらえることが必要になる。最終的にはそういう風に物語をとらえることはたぶん役者にとって必要なことだとは思うのだけど、残念ながらそれがすべてではなし、それを出発点にするとたくさんのものを取りこぼしてしまうと思う。

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 当然人の心というのは常に動いていて、舞台上の登場人物も例外ではない。観客というのは、意識無意識を問わず、舞台の上にいる登場人物の心の動きを追いかけながら演劇をみている。他人である登場人物の心の動きをどうして追いかけることができるのかといえば、様々な方法でその人物の心の中かが観客に示されるからだ。

 たとえばその登場人物が大声で泣いたとすれば、おおむね「その人が悲しいのだな」と判断するお客さんが多いだろうし、にこにこ笑っていれば逆の判断をするだろう。同じように、その人の行動によってもお客さんはその人物の心の中を想像するし、もっと大きな物語の展開そのものからも同じことをしてくれる。「今頃になってこんなことを言うとは、あのときよほど自分の心を隠していたのだろうな」というふうに。それらはおそらく、日常生活の中で僕らが他人と関わり合いながら生きていくときに、いつもしていることとよく似ているはずだ。

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台詞の覚え方

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬 » 台詞を語る
執筆 : 
KAZU 2008-5-24 10:35
 理想論であることはわかっていて敢えて言うと、台詞は覚えるものではなく、覚えてしまうものだ。そうありたいと思うし、そうあれたらいいなって思う。

 読み合わせ稽古から始まる。何度も何度も稽古をして、言い方など自分でも工夫し稽古の中でチェックがあったり指示があったりする。時間をとっては何度も何度も台本を読み込み、台詞の背景や、台詞と同時に流れていく登場人物の意識を探る。そういうことを繰り返しているうちに、自然と台詞が頭に入っていく。半立ちが終わる頃には、登場人物の動きや仕草と台詞とが関連づけられ、むしろ台本を持っているのが苦痛になってくる。そういうふうにできたらいいなあ、と思う。

 実際は、まあ無理だ。「○日までに台詞を入れてくること」という号令を合図に、台本を読んでは伏せ、ぶつぶつ口の中でつぶやいては台本を確かめ、稽古で勇気を出して台本を置いてみてはプロンプターのお世話になり、演出担当や舞台監督や相手役の舌打ちを何度も聞いているうちに、やっとなんとか言えるようになってくるのがいつものことのような気がする。本当はまずいのかもしれないけど、まあしょうがない。特に、今回のように台本決定から本番までが短い場合には。

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 自分が演じる登場人物を造型するという作業は、たとえて言うなら彫刻をするのによく似ているような気がする。大きな木の固まり(こういう表現、ありかな?)を削りながら、自分のイメージする人物像を形作るのである。名人の手にかかれば、削って形を作るのではなく、木の中にあらかじめ埋め込まれた像を掘り出すようにさえ感じられることも、よく似ている。(よくわからない人は、夏目漱石の「夢十夜」を読むこと)

 ただ、実際に作業にかかろうとするなら、大きな木の固まりに最初から向き合うのは能率が悪い。だいたいにおいて人間というのはある程度似通ったところがたくさんあるのだ。人間の原型のような物、たとえばマネキンやトルソーのような物を持ってきて、そこから作り始めた方が確かに作業が楽になる。

 犯罪捜査に使うモンタージュ写真を作る場合、あるいは「wii」で似顔絵を作ることをイメージしてもいいのだが、どういう手順で作っていくだろうか。ひとつのやり方は、最初にある程度一般的な形を仮に作っておいて、そこから修正していくという方法だ。何もない所から考えるよりも、一応の原型を作っておいてそれを見ながら、「目はもっと大きい」「口はもっと下にある」と具体的にいじっていくのだ。頭の中にあるイメージというのは形がないものだ。形のないものに形を与える時には、すでに形があるものと比べながら考えていくのが一番わかりやすいということである。

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おいしい役

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第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬 » 「役作り」をする
執筆 : 
KAZU 2007-8-18 11:42
 台本を書けばすぐに上演してもらえる幸福な作家であり、上演を前提としなければ書こうとしない怠惰な作家だけど、自分が作り上げた登場人物が演じられるのを観ていると、だいたい以下のパターンで「いいね」と思う。

 ひとつは、作者がその登場人物に振った役割を、思い切り大きく魅力的にやってくれるパターン。笑わせてほしいところは笑わせてくれる、目立ってほしいところは目立ってくれる、まわりを立ててほしい時は立ててくれる。それでいて、人間としてちゃんと生きていて、作者の都合で動かされる「コマ」という感じにならない。これはなかなか嬉しいものだ。

 次は、作者がこっそり仕込んでいたりする仕掛けや設定を、きちんと探し出して表現してくれるパターン。これも嬉しい。台詞とト書きだけで書いているとどうしても言葉にできないことがあって、というより「書いてあること」の何倍も「書いてないこと」を考えているわけだけど、書いてあることを手がかりに「書いてないこと」を見つけ出して、ちゃんと演技で見せてくれると、なんというか「伝わった」って思うし、大切にしてくれているんだなと思う。

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母音の呪文

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬 » 台詞を語る
執筆 : 
KAZU 2007-8-11 8:09
 きちんと伝わるように台詞を語るためにはどうしたらいいか。演技の話ではなく、純粋に音声を発するトレーニングとして考えてみたい。(いい参考書がたくさんあるから、ここに書くと怠け者を増やすだけかもしれないが)

 「滑舌の練習をしなさい」ってことをよく言う。早口言葉みたいなものをたくさん並べておいて、きちんと口が回るようになるまでやり続ける。有名なのは「ういろう売り」で、これを暗記している役者も多い(裏に全文印刷しておく)。プロになるわけじゃないから暗記する必要はないけど、朗々と語れるとけっこう格好いいと思う。

 で、滑舌を考える時には、まず「母音」と「子音」を分けて取り組むといい。今回は母音の話である。母音は、アイウエオという5つの音。声帯から声が外に出るまでに、比較的妨げにあわすストレートに出てくる音だ。現代日本語は世界でも珍しいくらい母音が少ない言語である。

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 何はともあれ、台詞を台詞として成り立たせるのは、そんなに簡単なことではないようだ。表現とか演技とか言う前に、「何を言っているのかちゃんとわかるか」が問題なのである。

 正直、お金を取ってプロがやっている芝居だって、きちんと台詞が聞き取れるか、と聞かれたら「?」という舞台は少なくない。これは一種確信犯的な要素がある場合もあって、言葉よりも雰囲気やあるいは肉体を大切にするような演出も存在する。かつて蜷川幸雄氏の「ロミオとジュリエット」演出メモに「全く聞き取れない台詞、怒り狂う評論家」みたいなことが書いてあるのを見つけて、ニヤリとしたことがある。

 しかしまあ、オーソドックスに考えれば、そして今僕らが取り組んでいる芝居の質を考えれば、とにかく台詞の意味するところ、つまりは言葉がきちんと観客に届かなければ、台本の持っている非常に大きな要素を失ってしまうことになるのは確かだ。何よりも、自分が観客として芝居を見ている時のことを考えてみればいい。舞台上で話している言葉がきちんと聞き取れない状態というのは、上演する側が思っている以上にストレスがたまるものだ。学校公演などをしていて、観客席が妙にざわつき舞台に集中してくれていないように感じる時は、実はきちんと台詞が観客に届いていない場合が多いものである。学校の生徒は正直だからストレートに反応してくれるわけで、話がわからない演劇はとっても退屈なのである。

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 村上春樹だったと思うけど、「翻訳というのは横になっているものを、えいやっと縦に起こすようなものだ」といっていたように記憶している(全然別の話だったらごめんなさい)。戯曲として文字に書かれているものを、実際に舞台で上演するのも、それと同じようなことだと思う。いや、それどころか、横になっているものをたたき起こして、空に放り上げて、2回転1ひねりでもさせて、しかも落ちた地点に直径300メートルのクレーターを作るようなことなのかもしれないと思う。

 もちろん、そんな派手なことはそう簡単にはできない。でも、いわゆる「読み合わせ」程度のことであっても、「横になっているものを縦に起こす」楽しさは感じることができる。もちろん実際に舞台を作り上げる第1段階としての「読み合わせ」であれば、とにかくたたき起こさなければ行けないので、もしかしたら「楽しみ」なんてのんびりしたことは言っていられないかもしれない(いや、根底に楽しさがなければ芝居作りなんてなんの価値もないんだってことを前提にしてなんだけどね)。ま、でも昨日やったような「読み合わせ」は、台本決定のためのトライアルというある意味シビアな部分もあるにせよ、同時にそれぞれがいろんなことをみんなの前でやってみる場でもあり、もしかしたら本番に繋がらない台本たちと一緒に遊ぶ場であり、何より演劇の活気というものを稽古場に持ち込む場であるように思う(長い文だ)。つまり、楽しくなければダメなのだ。

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with BACCHUS とは

高校演劇部の顧問として、部員に向けて書いた「演劇部便り」です。演劇づくりに関するマニュアル的なものから組織作りのようなこと、個人的な想いを書いたものまで内容はさまざまです。一応ジャンル分けをしていますが、特定の項目についてお知りになりたいときには、単語で検索をしていただいた方が、興味ある情報を見つけやすいかもしれません。

2期に分かれています。第1期は2002年9月から2009年3月まで。少しでも高いところに登ろうと必死で自らを鍛えていた演劇部でした。「with BACCHUS」の内容もわりあいハードで、量もとても多いです。第2期は2013年から書き始め現在進行形です。動き始めたばかりの演劇部、演劇初心者がほとんどの部員たちにわかりやすいように書いているつもりです。

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