NeverLand Musical Factory
SAKAI KAZUNARI
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with BACCHUS - 装置の計画から制作カテゴリのエントリ

 舞台の上でぶら下がっていて宙に浮いているのが「吊り物」である。多くの場合、舞台の天井にある「吊り物バトン」からワイヤーなどで吊られている(バトンのことを「第○吊り物」と呼ぶこともあるので気をつけること)。バトンは、多くの場合舞台の端から端まで伸びている長い鉄の棒で、人力や電動で上下させることができる。

 「吊り物」を使う場合、一番大事なのは「落ちない」ことである。「一番大事」というより、もうほとんどそれがすべてというか、製作する人間は能力と神経の9割以上をそこに注ぐべきで、デザインとか効果とか費用などというものは残りで考えればよい。それが不満なら「吊り物」は絶対に使ってはならない。最悪の場合、人を殺してしまうものだからだ。

 まずぶら下げる機構について。これは基本的にはワイヤーを使う。ワイヤーが太いと客席から見えてしまうのではないかと気にする人もいるが、「落ちない」というもっとも優先すべき条件に比べれば枝葉末節である。それに今の技術は進歩しているから細いワイヤーでもかなりの重さに耐える。

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汚しを入れる

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 装置の計画から制作
執筆 : 
KAZU 2008-9-30 12:36
僕は、「汚しを入れる」という作業が好きだ。「汚し」を入れて行くにつれて、装置や小道具や衣装が自分たちの仲間になっていくような気がする。よそよそしい顔をしていたロボットが、くだけた親友になっていくような気がする。その感じが好きだ。自分たちの思いが、絵の具やペンキになって注ぎ込まれていくように感じる。大事にしたい工程だといつも思うのである。

 現実の生活の中に存在するものは、多かれ少なかれ汚れている。狭い意味での「汚れ」、つまり汚くなっていると言うことだけではなくて、何らかの形で「使った跡」のようなものが存在している。本当に新品で袋から今だしたような物品には、何となくある種の違和感を感じてしまうのはそのためだ。周囲のすべてのものに「使った跡」がある中で、ひとつだけそれがないのだから当たり前だ。僕らはそういった「使った跡」=「汚れ」を意識して見ることはあまりないかもしれない。でも、確かに僕らはそれらの存在を感じ、むしろその物品の属性であるかのように自然にとらえている。

 たとえば学校で廊下を歩いている時に、たまには足を止めてじっくりと壁を眺めてみればいい。完全に真っ白な壁など存在しないはずだ。特別に汚したわけではなくても、多くの時間が積み重なったものが、壁にはこびりついているに違いない。はがしたセロテープの跡だったり、誰かの上履きの裏の模様だったり、見えないくらい小さくて半分消しゴムで消された落書きだったり。実はそういうものがあって初めて、僕らはその壁を作り物ではない、現実に存在する物品だと認識する。僕らを包む世界が、ほとんどそういうものでできあがっているからだ。

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ひとつのドア

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 装置の計画から制作
執筆 : 
KAZU 2006-6-1 9:20
 ドアがひとつ付いた壁を立てるだけなら、それほど難しいことではない。引き戸なら平行を出さなければいけないし、いわゆるドアなら垂直を出さないといけないから、あんまり安直に考えると痛い目にあうとは思うけど、ちょっとした木工作業ができれば、たぶんなんとかなる。

 が、それが芝居の大道具として使えるかどうかと言うことになれば、まだ別の問題である。さまざまな条件をクリアしなければならない。たとえば、実際に役者が出入りするドアを舞台に立てる。

 1,芝居の雰囲気を作る質感と美しさを持っているか。高級住宅地の設定なのにムラのあるペンキ塗りではどうしようもない。もっともこの美しさは「きれいだ」ということとはちょっと違うのであって、芝居の世界ととけ込むのが一番美しいのである。ぼろぼろに汚れて傾きかけたドアが一番美しい世界もある。またリアルということとも少し違う。もちろんリアルを追求することも多いけど、リアルでないことが一番リアルであるような劇空間も存在する。

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 今はどうだか知らないけれど、僕が中学生の時には「技術」という授業があって、あれこれと木工作業をやったりしていたのだが、その前段階として、図面の書き方をかなり一生懸命に教わったような記憶がある。製図セットというのを一式購入し、たとえば本棚を作るなら本棚を作るで、きちんとした設計図を書くことになっていて、それがちゃんとできなければ工具を持たせてもらえなかった。で、その図面は、たとえば切断する面は太さ1ミリの実線で書く(いや、本当はどうだったか忘れたけど)みたいな感じの厳密なもので、きちんと書けていないと何度でも突っ返された。クラスの他の人たちがノコギリをひいたりしている中で、一人カッターで鉛筆を削り定規を構えて図面を書いているのは、なかなか切ないものであった。

 そういった製図をするのも、やっぱりきちんとしたやり方があって、そのやり方は学ばない限り絶対に身につくものではないものだが、逆に身についてしまえば本当に力強い武器になる。そういった「やり方」というのは先人達の知恵の結晶だからだ。よく物語などを見ていると、保守的な先人達が誰も思いつかなかった画期的な方法を新人がさっと思いついて、頭の固い奴らをぎゃふんと言わせたりするけれど、実際はそんなことはめったにない。先人達の積み上げてきたものというのは、一見納得しがたいものであったとしても、さっさと学ぶ気持ちになってしまった方がいい場合がずっと多い。ずっと多いというか、ほとんど全部そうだ。

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 とってもたくさんの装置図を見せてもらった。各シーンごとに全員が装置図を書いてみるという試みは初めてだったと思う。それぞれの個性や、知識の違い、大げさにいえば演劇観のようなものまでかすかに見えたりして、とてもおもしろかった。

 ある意味驚いたのは、「平面図」「正面図」を求めているのに、「立体図」を書いている人が意外に多かったこと。書き方を知らない1年生がそうやって書いてしまうのはわかるんだけど、上級生もそうなんだな、としみじみとしてしまった。地区大会の時などに提出する書類は、基本的に立体図ではないし、でも立体図で書いてくる学校が多くて、何度も説明書きを書いているんだけど、やっぱり立体図で書いてしまうのが本能なのかなって思ったり、情報って担当者の所で止まってしまうものなんだなと思ったり、複雑な気分であった。イメージがとしての立体図はある意味では大事だけど、装置の図面を書く時には、どこにどれくらいの大きさのものがくるのかってことが第一なので、基本には平面図をおいた方がいいと思う。登場人物の立ち位置を考えるにしても、平面図が一番わかりやすいからね。覚えておいて。

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 大道具のミーティング、特に担当者はごくろうさまでした。ある種集中砲火のような状況の中で、きちんと対処していてちょっと(だけだけど)感心した。厳しい意見も多かった。現状では、提示されたイメージが曖昧で、それぞれの持っているイメージが交錯しているような状況なのだと思う。その責任はおそらく酒井にあるのだろうが、曖昧で抽象的なイメージを固めていくためには、結局は具体的な何かでイメージを現実化していくしかないのだから、その過程としてのあのようなミーティングは、可能な限り時間をかけてやっていくしかないのだと思う。曖昧だから決まらないのではなく、決めることで曖昧なものを明確にしていくのである。「稽古場のイメージ」というのは抽象だが、「ここに脚立がある」というのは具象である。脚立があるべきかないべきか、あるとすればどのような脚立がどこにあるべきかを検討することで、芝居ができていくのである。

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with BACCHUS とは

高校演劇部の顧問として、部員に向けて書いた「演劇部便り」です。演劇づくりに関するマニュアル的なものから組織作りのようなこと、個人的な想いを書いたものまで内容はさまざまです。一応ジャンル分けをしていますが、特定の項目についてお知りになりたいときには、単語で検索をしていただいた方が、興味ある情報を見つけやすいかもしれません。

2期に分かれています。第1期は2002年9月から2009年3月まで。少しでも高いところに登ろうと必死で自らを鍛えていた演劇部でした。「with BACCHUS」の内容もわりあいハードで、量もとても多いです。第2期は2013年から書き始め現在進行形です。動き始めたばかりの演劇部、演劇初心者がほとんどの部員たちにわかりやすいように書いているつもりです。

質問や感想などのコメントをお待ちしています。

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