NeverLand Musical Factory
SAKAI KAZUNARI
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with BACCHUS - コミュニケーションカテゴリのエントリ

 そもそも、何でもわかる、何でもできる人などというのは存在しないのだ。わからないことがある、できないことがあるというのが前提で、だからそれをどうするというのが問題なのであり、人の誠実さというのはそこに現れてくるものなのだと僕は思う。

 以前、「質問力」(ここ)という文章を書いた。そのときに書いた気持ちは今も変わっていない。質問する力はとても大事なものだと思うし、一方できちんと質問をする力というのは、意識して鍛えていかなければならない。それを前提としてあえて言うなら、能力以前に姿勢の問題でさえあるのだと思う。

 たとえば「○○は使用禁止」と書いてあって、「○○」の意味がわからなかった時にどうするかという問題なのだ。自分が使おうと思っているものの名前もわからないのは論外だし、気づかずに○○を使ってしまうのは許されないだろう。自分が使うつもりであるものを数え上げて、その中に○○は含まれないから安心している人。○○が実は××の別名であるとか、△△は○○に含まれるのだとか、そういうことに思いもよらない人はやっぱり迷惑である。「○○ってなんだろう」と疑問に思い、それをちゃんと質問しないような人間とは、大事な仕事を一緒にしたくない。知識の欠如じゃなく、そのいい加減な姿勢そのものがいつ取り返しのつかない事故につながるか…

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 これはもうどう繕っても本当だと思うから書いてしまうけど、少なくとも日本人というのは、どんどんコミュニケーションが下手になってきているらしい。で、下手になってくるとどうなるかというと、価値観を共有できるような「仲良し」の枠の中に閉じこもり、その外との関わりを極力さけ、さけられない場合は、妙に戦闘的になったり、おどおどと表面だけで関わるような態度をとる。人目を気にするわりに、具体的なものでも心理的なものでも、壁の中に閉じこもるとその外のことは気にしない、なんて人間ができる。

 おそらく人類(だけじゃないかもしれないけど)の歴史というのは、「何とかしてあんまり喧嘩をしないで問題を解決したい」って方向で「進歩」してきている。言葉が発明されたり、国際連合のような組織があるのも、殴りつけたり、原爆を落としたりする変わりに、話し合いで理知的に問題を解決していこうっていう、人類の意思の表れに違いない。まあ、成功しているかどうかは別として。

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 悩みとか焦りとかいろいろあってかまわないと思うのだけど、それが非能率的であると言い切ってしまう理由のひとつは、判断があいまいになるからである。で、判断があいまいであるというのは、別に悩みとか焦りが原因だけではなくて、実にいろんな所にその原因がある。

 いつだったか、質問されたときの反応に関して書いたことがあったと思う。イエスかノウかを答えなければならないときに、曖昧な顔をしてほほえみを浮かべているだけであるというのは、さまざまな理由があるにしても、あまり褒められたことではない。苦しそうな顔をして泣き出してしまうのと同じように。少なくともその答えを受けて全体が動かなければならないときには、それは非能率的である。

 で、それは質問されたときだけではなく、あらゆる判断に対して言えることだ。「これはこうなります、いいですか」と質問されたときの答えは、「いい」か「だめ」か「もう少し考えさせてほしい」かの3択である。3番目の答えが出てきたときには、その「少し考えさせて」おく時間に、別のことをやるとか、待つとか、いっそ答えを保留して別の質問にいくとか、そういうことも考えなければならないかもしれない。どういう答えが返って来るにせよ、答えがなければ身動きが出来ないのだ。

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以心伝心

カテゴリ : 
第1期 » 部活動運営 » 部員の精神 » コミュニケーション
執筆 : 
KAZU 2005-2-28 17:30
 「以心伝心」ってのはなかなか気持ちのいいものだとは思うけど、なかなか「以心伝心」できないから、たまにできる相手を見つけるとハッピーな歌になったりするわけだ。だいたいにおいて、言葉で言わなくてもわかるなんて言うのは一歩間違えると単なる甘えであり、基本的には「よっぽど上手に言葉にしないと、自分の心の中にあるものを相手に伝えることはできない」って思っておいた方がいい。

 日本という国では、思いを言葉にしないことが立派であるという価値基準がある。明治維新以降西洋的な価値基準が輸入されてきたけど、奥深いところにそれは残っている。その価値基準で考えれば、言わばテレパシーに近いようなものをお互いに持っているのが、一番幸せで立派な状態ということになる。

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 質問されて、その答えがすぐに頭に浮かんでこない時にどうするか。時と状況、質問された内容にもよるんだけど、観察していると人柄も感じられてなかなかおもしろい。

 「固まって」しまう人。多分頭の中では、その人なりにさまざまな言葉や概念が飛び回っているのだろう。いくつもの答えが出てきては、自分でそれを打ち消してみたり、なかなか忙しいのだと思う。が、外から見ていると、石像になったようにしか見えない。質問した方は次の手が打てないから、かなり困る。「あの、私の質問聞こえましたよね」あたりから話しかけるしかないのだ。

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 日曜日の稽古と関連して、話したいことがたくさんあるのにひとつのことを話すのに時間がかかりすぎて、まだ半分も話せていない。ちょっと、かいつまんでになるかもしれない。

 日曜日の午後、やや変則的な形で行われた読み合わせ。ひとつのシーンが終わるたびに入ってくる演出家の話が、とても刺激的だった。僕は一応、ああいうふうに小説を読んでいくプロであり、それどころかその読み方を教えるプロであるわけで、それでも、「ああ、なるほどこういう読み方が出来るんだな」とはっとすることが多かった。おそらくみんなはなおさらだろう。

 たとえ同じ小説や戯曲を読んだとしても、たとえばストーリー展開だけは大体はわかるという読み方をする人と、先日の演出家のように、ひとつひとつの設定の奥に隠された意味まで読み取っている人と比べれば、同じものを読んで「おもしろいね」と言う、その「おもしろい」の意味がまったく違うことがわかると思う。仮にそうやって読むことを山に登ることに例えるとすれば、ハイキング気分で15分もすれば登れるところから見た風景を念頭に、「あの山から見た風景は美しいね」って言っているのと、雲の上にそびえ立つ頂上まで近くまで言った人が、「あの山から見た風景は美しいね」と言っているのと同じくらい違うわけだ。

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 劇団ルームルーデンスのエディケーションプログラムに参加しての、第一回稽古。どうだっただろうか。横で見ていた僕でさえ、めくるめくような思いがしたのだから、実際にその渦の中にいたみんなにとっては、大変な経験が出来たものだと思っている。

 稽古のあとで少し話したけど、あらためて書いておきたい。

 そうなるまい、そうあるまいといつも思っているけれど、やっぱりみんなの中にも、指示を待ちその枠の中で行動することに逃げ込みたくなる弱さがひそんでいる。おそらくそれは、控えめであるからというよりも、むしろ臆病だからだろうと思う。

 僕はたとえばこの「with BACCHUS」の中でも、相手の気持ちを思いやり迷惑をかけずに行動することや、事故のないように細心の注意を払うべき事などを書く。おそらくそれは、ともすれば逆のことをやってしまいがちな自分への自戒の念もこもっていると思う。言ってみれば僕らの行動というのは、どういう性質のものであるにせよ、ある一定の枠のようなものがあって、その枠を超えてしまうと、何らかの形で自分なり、周囲なりが傷つかざるを得ない。

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 どうやら僕は人間関係というものを、非常にウエットなものと捉えたがる傾向があるらしい。人と関わる時には、相手に自分を好きになってほしいと思うし、逆に自分も相手を尊敬していたい。そう考えるのは決して間違ったことではないと思うけど、人間関係というのは、別に友達とか仲間であることを常に必要としているわけではなく、必要なものをお互いに出し合うとか分け合うとか、とってもドライなものと考えた方がいい場合もたくさんあるってことが、だんだんわかってきた。で、ウエットなものと考えがちな僕は、努めてドライに考えないことには、一人で傷ついたり悩んだりしなければならなくなるから、とにかくドライドライと言い聞かせながら人とつきあおうって思ったりする。そんなことを思っているうちに、それが甲羅みたいになって、重いしそれ以上成長できないし、外から見ればかちかちに見えるし、ろくなことがない。

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返事の大切さ

カテゴリ : 
第1期 » 部活動運営 » 部員の精神 » コミュニケーション
執筆 : 
KAZU 2004-6-7 21:40
 返事というのは大切なのだと改めて感じる。

 普段、部の中で自分が話をする時には、あんまりまめに返事をしなくてもいいよって考えているところがあって、自分の話を理解してくれたのであれば、最後に一度はっきりと返事をしてくれるのが一番気持ちがいい。そんなふうに思っているせいか、話のテンポも速くて、返事をしようと思って困っている人がいたりして、ちょっと反省したりもする。が、ホールなどに行けば、また話は別だ。

 観客席に立って稽古を見ていると、舞台袖とか調光室・音響室の様子は当然ながら見えない。予定に従って進めていっても、例えばあるシーンをスタートする時に、まだ役者が準備をしていたり、音響担当がMDを探していたり、照明担当が前のシーンのメモをしている状態では、始めることができない。ところが見えないものだから、そのような状況であることは、声を出してもらえない限りわからないのである。もっと微妙な点でも同じだ。たとえば「4番フェーダーをあげて」と指示が出た時、返事があっても予定していた灯体がつかなければ、おそらく機械的に何らかのトラブルがあるのだと予想できる。しかし、返事がなければ実際にそのフェーダーをあげているのかどうか、指示が届いているのかどうかわかりようがないのだ。

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人に話をする

カテゴリ : 
第1期 » 部活動運営 » 部員の精神 » コミュニケーション
執筆 : 
KAZU 2003-10-23 14:30
 昨日の音響担当者からの話は、なかなかよかったと思った。話の内容もさることながら、まずお礼を言うべきところをきちんと言い、次に問題点を話し、その理由を説明し、最後にもう一度評価すべきいい点を述べる。そういう話の組み立て方に、周囲に対する気遣いと、自分たちができることへのプライド、さらにそれでは満足しない問題意識を感じた。一部ちょっと言葉が感情的になりかけたかなってところもあったにはあったけど、なにか行動をした後の反省というのは、ああでなければいけないのだなと思い、あのような発言があることをうれしく思った。

 稽古中のダメ出しや感想であれ、最後のミーティングでの連絡や問題提起であれ、たとえ部の中の話であるにしても、人の前で話をするには、それなりに考えなければならないことがあるはずだ。特に、問題点を指摘したりする時には、「自分が何を言いたいか」と同じくらい、「自分の言葉が相手にどのように受け取られるか」を考えなければいけないことが多い。

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with BACCHUS とは

高校演劇部の顧問として、部員に向けて書いた「演劇部便り」です。演劇づくりに関するマニュアル的なものから組織作りのようなこと、個人的な想いを書いたものまで内容はさまざまです。一応ジャンル分けをしていますが、特定の項目についてお知りになりたいときには、単語で検索をしていただいた方が、興味ある情報を見つけやすいかもしれません。

2期に分かれています。第1期は2002年9月から2009年3月まで。少しでも高いところに登ろうと必死で自らを鍛えていた演劇部でした。「with BACCHUS」の内容もわりあいハードで、量もとても多いです。第2期は2013年から書き始め現在進行形です。動き始めたばかりの演劇部、演劇初心者がほとんどの部員たちにわかりやすいように書いているつもりです。

質問や感想などのコメントをお待ちしています。

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