NeverLand Musical Factory
SAKAI KAZUNARI
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with BACCHUS - 「役作り」をするカテゴリのエントリ

 新しい台本が渡される。自分はある役を演じることになっている。さて、最初に何をするだろうか。まあ「台本をしっかり読みなさい」なんてよく言われるわけだけど、「しっかり読む」ってどういうことだろうか。

 時々いるのだけれど、自分の台詞にマークをつけるところから始める人がいる。何となくわからなくはないのだけど、どちらかといえば僕はあまり好きではない。役者が何かの役を演じるときに最初にすることといえば、いわゆる「役作り」と言うことになるのだろうけど、この「役作り」という作業は、決して自分の役だけを見ていたのではできないことだからだ。

 人生というのは、最終的には自分が主役なのであって、自分という立場からしか他者を見ることができないと言ってもいい。極端に言えば、自分以外のすべてのものは、自分の心に映る幻であるという考え方さえある。もし「役作り」の究極の目的が「そこに一人のリアルな人間を出現させること」であるとすれば、その人間はおそらく、自分の立場から他者を見るのだろうから、演じる役者は、そういう観点で登場人物をとらえることが必要になる。最終的にはそういう風に物語をとらえることはたぶん役者にとって必要なことだとは思うのだけど、残念ながらそれがすべてではなし、それを出発点にするとたくさんのものを取りこぼしてしまうと思う。

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 自分が演じる登場人物を造型するという作業は、たとえて言うなら彫刻をするのによく似ているような気がする。大きな木の固まり(こういう表現、ありかな?)を削りながら、自分のイメージする人物像を形作るのである。名人の手にかかれば、削って形を作るのではなく、木の中にあらかじめ埋め込まれた像を掘り出すようにさえ感じられることも、よく似ている。(よくわからない人は、夏目漱石の「夢十夜」を読むこと)

 ただ、実際に作業にかかろうとするなら、大きな木の固まりに最初から向き合うのは能率が悪い。だいたいにおいて人間というのはある程度似通ったところがたくさんあるのだ。人間の原型のような物、たとえばマネキンやトルソーのような物を持ってきて、そこから作り始めた方が確かに作業が楽になる。

 犯罪捜査に使うモンタージュ写真を作る場合、あるいは「wii」で似顔絵を作ることをイメージしてもいいのだが、どういう手順で作っていくだろうか。ひとつのやり方は、最初にある程度一般的な形を仮に作っておいて、そこから修正していくという方法だ。何もない所から考えるよりも、一応の原型を作っておいてそれを見ながら、「目はもっと大きい」「口はもっと下にある」と具体的にいじっていくのだ。頭の中にあるイメージというのは形がないものだ。形のないものに形を与える時には、すでに形があるものと比べながら考えていくのが一番わかりやすいということである。

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おいしい役

カテゴリ : 
第1期 » 芝居作りのノウハウ » 役者の鍛錬 » 「役作り」をする
執筆 : 
KAZU 2007-8-18 11:42
 台本を書けばすぐに上演してもらえる幸福な作家であり、上演を前提としなければ書こうとしない怠惰な作家だけど、自分が作り上げた登場人物が演じられるのを観ていると、だいたい以下のパターンで「いいね」と思う。

 ひとつは、作者がその登場人物に振った役割を、思い切り大きく魅力的にやってくれるパターン。笑わせてほしいところは笑わせてくれる、目立ってほしいところは目立ってくれる、まわりを立ててほしい時は立ててくれる。それでいて、人間としてちゃんと生きていて、作者の都合で動かされる「コマ」という感じにならない。これはなかなか嬉しいものだ。

 次は、作者がこっそり仕込んでいたりする仕掛けや設定を、きちんと探し出して表現してくれるパターン。これも嬉しい。台詞とト書きだけで書いているとどうしても言葉にできないことがあって、というより「書いてあること」の何倍も「書いてないこと」を考えているわけだけど、書いてあることを手がかりに「書いてないこと」を見つけ出して、ちゃんと演技で見せてくれると、なんというか「伝わった」って思うし、大切にしてくれているんだなと思う。

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 先日も書いたように、芝居をつくることは抽象的なものを具体的にしていくことであり、具体的にするとは何かを足していく作業であるとすれば、役者は台本と役をもらってから舞台に立つまでの間に、本当にたくさんのものを足していかなければならない。

 役者が役作りをするというのは、おおざっぱに言えばふたつの作業をやることになる。

 ひとつは、「どのような人物を表現するか」を決定することである。これは大体において、「自分が演じる人物はどんな人物か」を考えるのと同じことなのだけど、完全に同じではない。なぜなら、限られた情報しか与えられていない登場人物の人物像を、客観的に知り尽くすことは絶対に不可能であり、多かれ少なかれ、役者自身が「想像」していかなければならない部分が存在するからだ。気取った言い方をすれば「想像」することで「創造」するのであり、同じ登場人物でも、別の役者が演じれば全く違う人物になっていく理由のひとつはここにある。

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 演劇に限らず、芸術というのは基本的に「抽象を具象にする作業」と言っていいんじゃないかと僕は思う。この表現でわかりにくければ、「形のないものに形を与える作業」と言ってもいい。昨日の舞台装置の話し合いで出てきた話題で言えば、「汚さ=5」という抽象的な形のないイメージを、「ここにゴミ袋があって」などと具体的な形を与えるのである。「ゴミ袋」という言葉もやっぱり抽象的で、さらに具体的にしていかなければ、「汚さ=5」を現す具体的な舞台装置ができないことは言うまでもない。

 今キャストの部員が取り組んでいるであろう「役作り」という作業も、同様に「形のないものに形を与える作業」に他ならない。

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 少し前に、役作りに関して書いた。結局、台本に書いてある手がかりを元に具体的な人間像を作り上げることが役作りであり、そのためにはその人の歴史を作ることが大事で、多くの質問を登場人物にぶつけてみるのが効果的である、なんてことを書いた。まあ、一般的なやり方だと思うんだけど、なるほどと思って考えてみて、ありゃと困ってしまった人もいると思う。

 だいたい、今僕らが取り組んでいる芝居で、そんなふうな方法論がそのまま適用できそうなのは、ほとんど一人くらいしかいないのである。それ以外は動物だったり植物だったり、ほんとうに存在しているのかどうかわからない幻みたいな人だったりする。だいたい、生まれてから今までのヘビの経験を元にして、なんて言われたって、ヘビが自分の経験を覚えているのかすら疑問だ。だから、あの役作りのノウハウというのは、あるタイプの様式で書かれた台本用なのであり、比較的そういう様式で書かれた芝居が主流であるってことであり、様式が異なれば違うノウハウが必要になるのである。基本とか、基礎とかいうものは存在するけれど。

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 考えれば考えるほど、「役作り」というのは難しいものだと思う。少なくとも今のみんなの演技を見ていると、どう見ても「○○さん」という人ではなく、「○○さんを演じようとしてがんばっている某部員」にしか見えないのだ。もちろん、まだまだの時期だから当然なんだけど、これから本番までの期間のどこかで、「某部員」が「○○さん」に変わる瞬間があるのだろうか。もしあるとしたら、それはどうなることによって変わるのだろうか。ふっと考えてしまうと案外わからない。

 つまり、人間のやる仕草や表情にはすべて、そのようなことをする必然性があるってことなんだろう。その必然性というのには、単にその人にはそんな癖があるってことも含めてなんだけど。「あ、あの人がそんな仕草をするのはこんな理由があるからなんだな」ということが納得できない時に、多分その演技がわざとらしいなって思ったりするのだろう。もちろん、この納得できないというのが、明確に「変だ」「不自然だ」と感じてしまうということであれば、それはそれで対処しやすいような気がする。少なくとも、ダメだってはっきりわかるから。でも、それほどではないが、やはり登場人物が生きている人間として感じられないって時は、根本的にはそれと同じことが起きているような気がする。その仕草や表情をする理由として、「そのようにするべきだと役者が思ったから」というのが真っ先に感じられてしまう(そんな明確にそうは思わないにしても)時、どうもその人物が嘘っぽく感じてしまうような気がするのだと思う。

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 福田恒存という人がいる。演劇の評論や翻訳、劇作で有名な人である。昔、その人の書いた文章を読んでひっくり返りそうになったことがある。この人はこういう人だ、といったふうに登場人物を考えるのはやめなさい、なんてことが書いてあったからだ。そのころの酒井は、役作りというのは、まさに「この人はこういう人だ」ってことを戯曲を手がかりに考えていくことだと思っていたし、そこで得たことを表現するのが演技ということだと思っていた。福田氏は、それではダメだという。ではどうするのか。その台詞が要求に従うべきだそうだ。うんと単純にいえば、「嫌いだ」って台詞は、その台詞が舞台の上で一番効果的になるように言えばいい。何が一番効果的かは、登場人物の心理ではなく、舞台の上で展開されるドラマによって決まる。観客に何を感じ取ってほしいかによって決まるのである。個々の台詞の効果を追い続けていくと、登場人物の人間像に矛盾が出てはこないか。バラバラになってしまわないか。福田氏は、もともと人間は矛盾に満ちた存在なのだから、それでいいのだという。むしろ、「こんな人だ」ってまとめてしまうのは、その人物の全体像を、自分の理解の限界にとどめてしまうことになるわけだ。(酒井の理解がまじっているから、福田氏の趣旨とは違うかもしれないことを断っておく)

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 「キムジョンピルに花束を」組の苦戦ぶりを見ていた。この芝居の登場人物は、それぞれが様々な意図と立場から行動したり話をしたりしているのだが、その意図や行動がくっきりと見えないのである。確かに意図自体も、表面に表れるものと、本当のものとが違ったりして大変ではあるのだが、そういう複雑なことはまず置いても、「この人は今何を伝えたくて話しているのか」とか、「なぜこんな感情が湧いてきているのか」とか素朴なことが、複雑な人間関係や騙し合いに隠れてしまっているのは確かである。このやりとりでは絶対にこんな感情にはならないって思われたら、その芝居はただの嘘になる。

 困った時には台本に戻れ、というのは本当で、特になんでもないように思われる言葉にも、いろんな意図が込められているのがこの芝居である。それをもっと探り出してほしいというのが第一。台本の読み込みが甘いよ。もったいないように感じる。

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「キムジョンピルに花束を」組の稽古を見る。

 かなりウェルメイドな雰囲気の芝居にはなってきているように思った。演技をしていこうという意識もかなり感じられた。まとまりのあるものになっていきそうな気がする。が、芝居の雰囲気に役者の技量がついて行っていない印象は否めなかった。

 というのは、役者が役者に見えてしまって、登場人物にほとんど見えないのである。わかりやすいところで言えば年齢。どの人物の年齢不詳である。特にこの芝居の場合には、親子であったり夫婦であったりという人間関係や、総理であったり官房長官であったりといった職能関係が、網の目のように張り巡らされてひとつの「世界」を作っている。そこに入ってくる「よそ者」(舞台上に2人、見えないところに1人)が入ってきて、その世界を混乱させていくのがおおざっぱに言えばこの芝居の趣向なのだが、趣向以前に、「世界」ができあがっていないのである。できていないものを崩すことはできないのだ。

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with BACCHUS とは

高校演劇部の顧問として、部員に向けて書いた「演劇部便り」です。演劇づくりに関するマニュアル的なものから組織作りのようなこと、個人的な想いを書いたものまで内容はさまざまです。一応ジャンル分けをしていますが、特定の項目についてお知りになりたいときには、単語で検索をしていただいた方が、興味ある情報を見つけやすいかもしれません。

2期に分かれています。第1期は2002年9月から2009年3月まで。少しでも高いところに登ろうと必死で自らを鍛えていた演劇部でした。「with BACCHUS」の内容もわりあいハードで、量もとても多いです。第2期は2013年から書き始め現在進行形です。動き始めたばかりの演劇部、演劇初心者がほとんどの部員たちにわかりやすいように書いているつもりです。

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